延浄寺ブログ

南無阿弥陀仏の石碑の説明

2025.3.10 ブログ

延浄寺の山門を入った左側と、ご本堂の右側に南無阿弥陀仏の碑があります。
これは2年前に、跡継ぎの息子を亡くしたとき、どうしもない思いで建立しました。
その意味は、自分の力でどうししようもないときは、私に任せなさいと言う阿弥陀の呼びかけです。
隣の石碑は、その時思い立った、私の心情です。

この解説をします。

阿弥陀仏に任せれば
大きな光と慈悲の中で
よりよく生きる「気」が育ちます。

阿弥陀仏は知恵と慈悲の光です。その光の中で生きているとき、私の「気」の中に知恵と慈悲を頂くようになります。
智慧と慈悲を頂くと、次の感性が身につくようになります。

役に立つ喜びを感じ
悲しみや苦しみは少しずつ離れ
やがて人生の無憂と感謝の念仏が
自然に生まれます。

これで良かったのだと無憂と、ありがとうの気持、念仏が自然に生まれます。

穏やかで、微笑みを浮かべて
光の浄土に向かうのです。

これは息子の亡くなった時の顔つきです。心臓発作でなくなったときは、苦しい気持ちが顔に出ていました。病院に着き無くなってしまった後はこの表情でした。
家族を亡くしたとき、皆さんも、斜め下から顔を見てください。ほとんどが安らいだ表情でしょう。ほんのわずかな顔の表情が大切です。亡くなったあとの顔に化粧など強くしないことが、大事なことです。

そのひかりの中から故人や御先祖の「気」があなたの「気」に触れます。

ここの説明は、親鸞の発想を私流に解釈したところで、簡単には解説できない処ですが、私が次の世代に残す考えとして記しました。
お墓参りや年回法要は、何故するのかを、私流に解釈した大事なところです。

親鸞聖人は、亡くなると阿弥陀様に任せれば、西方極楽浄土に往生できる「往相回向」、そして現世に還り私たちに生きる力を支えてくれる「還相回向」を、良き人(法然)の教えで信じていました(歎異抄)。還相回向についてはいろいろな説があります。

これを私は、お墓参りや法事に結びつけました。

お墓参りや葬儀・年回法要などは江戸時代から一般的になった法事です。親鸞や蓮如の時代は庶民の習慣ではありませんでした。

もう一つ大事なことは、故人の何が極楽に往生し、故人の何が還ってくるのだろうかは、85年の私の人生の中で明確な答えに出会ったことがありませんでした。

私はそれは「気」であると思います

鎌倉時代、平均寿命が30歳代で、生死は身近な問題でした。人殺しをする武士達にとっては、「人を殺すと地獄に落ちる」は大変などうしようもない苦しい悩みでした。
親鸞の「阿弥陀様を信じれば、地獄ではなく極楽に往生する」、往相回向は武士たちとっては大変な救いでした。行きる気の変化があるからです。

宗教は気の方向を決めます

現在に必要な信心は、私達は阿弥陀仏の智慧と慈悲の光の中で生かされているということに気づくことです。
智慧と慈悲の光の中で「気」が育つことです。
戦争も政治・制度も「気」が方向を決めます。
日常生活すべて、人生のすべては気がつくります。
ご臨終の時に無憂と感謝の人生であれば念仏が「ありがとう」の言葉になり、光の中へ還っていくのです。
また、南無阿弥陀仏の大きな力が故人・御先祖と私をつなぐ蔭の大きな力(お蔭様の還相回向)になり念仏になります。
浄土真宗の教えは生きるために必要なのです。
葬儀の法事も墓参りも故人対してではなく、故人と触れ合いの深い、生きている人への仏事です。

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